903年、宇多法皇の身代わりであり菅原道真公の念持仏であった薬師如来像を、蒜山高原の地に安置したことから始まったとされる福王寺。
開山は道真公の随僧であった弥宗僧正。宇多法皇から道真公への思いが回向して、薬師如来の光明が満ちている。
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岡山県北部の蒜山高原に位置する真言宗御室派の寺院。
延喜3年(903)菅原道真公が大宰府で刺客した後、菅原道真公の随僧であり仁和寺の僧であった、弥宗僧正が菅原道真公の念持仏(薬師如来)を奉持して当地に一宇を建立した。
当時の菅原道真公は宇多天皇に重用され、右大臣まで上り詰めた。しかし、宇多天皇が出家し譲位が成された後、権力闘争に敗れ流罪となってしまう。その際、菅原道真公には、宇多法皇より弥宗僧正づてに法皇の身代わりである薬師如来像が託された。菅原道真公が没した後、大宰府で菅原道真公とともに過ごした薬師如来像は、弥宗僧正の手によって宇多法皇のもとに届けられた。宇多法皇は、道真公への鎮魂の思いと共に全国行脚を弥宗僧正に依頼する。弥宗僧正はその薬師如来像と共に全国を行脚し、最終的に蒜山の地に薬師如来像を安置し寺院を建立した。それが現在の福王寺本尊の薬師如来像である。
当時、寺院名は西念寺と号したのが創りだったが、宇多法皇の母君である、班子皇太后をご神体とする京都福王子神社が創建され、後に西念寺に替わり福王寺を寺号とした。 創建当初から、本山である京都仁和寺の荘園内にあった福王寺も隆盛を極め塔頭寺院など多くの堂宇を構えた。
宇多天皇 宇多法皇
応永年間(1392頃)に蒜山の土石流被害に遭うも、現在の場所(蒜山中福田)に寺院を移転した。当時塔頭寺院になっていた、西念寺と瑠璃院も同地に移転し、その当時福王寺一帯は数多くの神社仏閣が広がっていた。
応仁の乱(1467)が起こると都を避けた公家たちが当地に流寓し共に法灯を護持してきた。
戦国時代から江戸時代の初頭にかけて、豪姫(前田利家の四女 豊臣秀吉の養女 宇喜多秀家の妻)を当山に迎え入れる。豪姫はキリシタンであり、義母のお福(宇喜多直家の妻)と共に、お福との関りがあった福王寺にてキリスト教(マリア地蔵現存)を信仰していた。お福、豪姫の墓石は福王寺に現存している。
関白豊臣秀吉公の養女を受け入れることなった福王寺は、関白より大きな配慮を賜り堂塔伽藍を一新し大伽藍を構える寺院となった。
豪姫は舞踊に達者であったことから、現在国指定重要無形文化財になっている大宮踊りの振付師であったといわれている。
豪姫が没した翌年、豊臣方でありキリシタンを匿っていた当寺は、徳川幕府の号令により取り潰しに遭う。一部尊像及び法灯はひっそりと護り抜かれる。
ようやく幕府より正式に再建を許されたのは、明和5年(1768)であった。その頃より福王寺本堂の再建が進んでいき寛政8年(1798)に本堂が落慶された。本堂は茅葺屋根の宝形造り、格天井に花鳥風月(薬草曼荼羅)を描く。(雲亭覧水、安田覧水作 市文化財指定)
現存する最も歴史のあるお堂が、この本堂である。
キリシタン マリア地蔵
本堂再建当時 明和5年(1768)、蒜山地方では大水害が頻発しており、福王寺でも大きな祈願法要が執り行われた。当時の人々は福王寺を守護している龍が暴れることによって水害が発生していると考え、本堂欄間にいる龍の尾に杭を打ち付けた、するとたちどころに水害が鎮まった。それ以来福王寺では雨乞いや水害除けの祈願には龍の杭を抜いたり刺したりすると伝わる。
その水害に伴い飢饉や疫病が広まり同じく、大祈願法要が行われた、福王寺本尊薬師如来像の薬壺がその頃大護摩で供養(燃やす)されたと伝わり、現在も本尊薬師如来像の左手には薬壺が無いお姿で安置されている。
明治時代に入ると、廃仏毀釈の影響は受けたが、なんとか法灯は護られる。
昭和時代から平成にかけて境内を大改修し、現在に至る。
昭和50年頃より、大師堂、庫裡、鐘楼堂を建立。平成25年に福王寺の裏山を切り開き新伽藍を構える。持仏堂、護摩堂、客殿はこの頃に建立。その他、救済弘法大師、波切不動明王、弁財天、ぽっくり地蔵、宇賀神、稲荷明神、などなど、さまざまな神仏が祀られる。
また、参加型祈願としてテッポウ柱などがある。お寺では、法要以外に修行体験や座禅なども行っている。
宇多法皇のご誓願が弥宗僧正から菅原道真公への鎮魂となり、その思いが回向して薬師如来の光明が境内全体に満ちている。
<お車で>
中国道 → 米子道 → 蒜山IC
→ 国道482号線(約3Km)
<お車で>
山陽道 → 岡山道 → 米子道 → 蒜山IC
→ 国道482号線(約3Km)